成果主義を擁護してみる。

今行ってる会社の評価制度(と組織)を作ることになった。社長が、やってー、と言うから、じゃあやるー、って言った。4コマで書こうと思う。あとヤスノリって名前の人にうんとお金が入るようにするのと、なんか死刑とかできる権利持たせる。
や、ものすごく真面目な話、経営学とか触れたことすらないのだ。もうそろそろ、理系だからーテヘッ、みたいなのは通用しないんだけども。
とりあえず、経営戦略とか経営組織関係の本を買ってきた。
面白いのう。
こういう本をちょっとかじってから、改めて前の会社の評価制度を考えた。
前の会社は成果主義を採用していた。なんか、目標を設定して、それを上司が承認して、期末に上司と面談して目標の達成度を二人で話し合う、みたいな。まあ、とは言っても「効率を重視して、残業を20時間以内に抑える」とか「テストの効率化のため、ツールを作る」とか、当たり障りの無い目標を毎回書いて、上司はそれを見て、うん、いいね、みたいなことになってた。
こんなんだから、ああ、成果主義って意味ないよね、と誰もが言っていて、俺もずっとそう思っていたんだけど。
でも、そうじゃないんじゃないか、と。だって、なんかすっごいことやって、「これだけやりましたよ!」と言える機会があることって、単純に良いじゃん。
例えば、「部で持ってる技術のうち外向けに公開できる部分でまとめサイト作って、この技術ならウチ、というイメージを作る」とか、「その技術を使った新しいサービスを5個提案する、で1個実際やる」とか。
目標面談とは、従業員の個性あふれる目標が部の方針と合っているかを確認し、合ってなかったら上司が軌道修正を促す、従業員は「や、これ、ほんとお金になると思うんだけどなあ……駄目なら会社やめようかな。提案資料持ってNEC行くけどいい?」なんて言ってみたり、そういうエキサイティングでスリリングな場であるべきなのだ。ほんとはね。
上司は、「効率を重視して、残業を20時間以内に抑える」なんて小学生みたいなことを言う部下に対して、「そんなもんは勝手にやれ! 馬鹿!」と言うべきなのだ。ほんとはね。
で、エキサイティングな目標を立てる元気が無い、もしくは立てて欲しくない会社ならば、成果主義ってまったく機能しない、どころか弊害が生じる。くだらない目標を承認するために管理職の大切な時間が割かれるなんて。幾らの損失だろう。それだったら、旧来のように、会社が決めた方針で評価すれば良いじゃない。文句言う奴だけ、目標立てさせれば? その代わりアツい目標立てろよ、とか言えばいい。
まあ、要は、システムの選択が間違っていただけで、システムそのものは悪くないのだ。
って、言ってたよ。夢の中で、はにわが。